セレッソ大阪退団の元ウルグアイ代表フォルランのキャリアを振り返る

サッカーコラム
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今回はセレッソを退団した元ウルグアイ代表

フォルランのサッカーキャリアを振り返っていきたいと思う。

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スペインのビジャレアルで才能が開花

2004-2005シーズンに得点王を獲得。

元アルゼンチン代表リケルメの魔法のようなパスを受け取りストライカーとしての質の高さを証明した。

ディエゴ・フォルラン3

 

アトレティコマドリードではアルゼンチン代表のアグエロと共に得点を量産

2007-2008シーズンにビジャレアルからスペインの強豪アトレティコマドリードへと移籍。

このチームは現在、バルセロナ、レアルに次ぐ強豪であり、最近では

GKデ・ヘア

FWラダメル・ファルカオ・ガルシア

FWジエゴ・コスタ

など数多くのタレントをビッグクラブに送り出している。しかもなぜかエース級の選手が抜けてもチームのクオリティが落ちない、不思議なチームでもある。

このチームで2008-2009シーズンにフォルランは32ゴールを挙げ得点王を獲得。

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バルセロナのカメルーン代表ストライカーエトーを抑えての得点王だった。

ちなみにこのときのバルセロナは3冠を成し遂げており、そのストライカーより点を取っていたというのは、

正直、すごいとしかいいようがない。

 

南アフリカワールドカップでは得点王

この1年後フォルランはウルグアイ代表でも個人タイトルを取ることになる。

そう、2010年南アフリカワールドカップで得点王になったのだ。

もしかするとフォルランがワールドカップで得点王になるとは当時誰も思っていなかったかもしれない。

 

「南アフリカで僕らはベスト4だった。僕はベストプレーヤーに選ばれた。でももう、そのことは考えない。唯一考えるのは、僕らが再び歴史を作り出すことができるということだけだ」

フォルランをスペイン在住記者が解説「性格に周囲は驚かされることだろう」
今季セレッソ大阪に加入したディエゴ・フォルラン。W杯得点王のJリーグ参戦とあって、開幕前から盛り上がりを見せているが、改めてフォルランとはどんな人物なのか振り返ってみたい。スペイン在住記者が解説する。

 

フォルランのこの活躍でウルグアイは大会ベスト4という好成績を収める。

 

 

セレッソ入団~そして今季退団へ

セレッソ入団~J2に降格

2014年Jリーグが始まって以来史上最高の選手がセレッソというクラブに入団が決まった。

W杯得点王

という肩書があるビッグネームがきたというのは史上初である。

 

「育成のセレッソが、なぜビッグネームを獲得したのかと、あらゆる方から聞かれます。でも、フォルランと一緒にプレーすることもまた育成なんです。フォルランは人格者と聞いていたけど、住居などに関しても特別な要求はいっさいない。本当にこちらが拍子抜けするくらいですわ」

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育成クラブであるセレッソは柿谷や南野杉本などの生え抜きの若手にさらに成長してもらう目的で6億という大金をフォルラン獲得に使った。

これについては6億円という超高額年俸でOKサインをだしたセレッソの経営陣の勇気が素晴らしいとしかいいようがない。

しかし補強金に見合った活躍をフォルランはできず、

成長させるはずの日本代表であるセレッソのエース柿谷曜一郎はスイスのバーゼルに移籍してしまう。

シーズンを終えた成績はなんとJ2降格・・

開幕前から優勝も噂されていたチームがまさかの結果だった。

 

diego3

 

セレッソ退団

今回の契約満了に関してC大阪の玉田稔社長は、クラブとしての「体力の問題」を理由に挙げている。経営面を考えての判断で、「現状の条件では難しい」とした。

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結局今シーズンもセレッソ側が年俸を支払う経営力がないということで、

半年の契約が満了となり退団することになった。

なぜ「こんなはずじゃなかった・・」という結果になったかについては、

おそらくフォルランを使いこなせる監督がいなかったもしくは人選ミスだったということだろう。

両腕いっぱいの花とプレゼントを抱えて最後のゴールをPKを決めたフォルランがメインスタンドに戻ってきて報道陣の取材に答えていく。

ひととおりの質問に回答し、「サンキュー」と言って帰ろうとする彼を「一つだけ」と呼び止めて、ずっと聞きたかった質問を投げ掛けた。

「セレッソ大阪でプレーした1年半で一番思い出に残っていることは?」

「トルシーダ」

まさに即答だった。ポルトガル語で「サポーター」を意味する単語を笑顔で口にして、彼はこう続けた。

「一番すごかったのは、私のことを応援してくれたサポーターだ。彼らの声援は本当に素晴らしい。また日本に帰ってきたいと思っている。できたら監督としてね」

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再びJ1で活躍をみれなくなったのは残念ではあるが、今度は指導者として日本に帰ってきてくれることを願っている。

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