神の子マラドーナのなり損ない7人を紹介
アルゼンチンのサッカー選手と言えばマラドーナが最も有名で、イギリスメディアが先日「マラドーナ2世の重圧を背負った10人」
を紹介した。
ここではその中でも日本人に馴染みのある7選手をピックアップしてみたので是非みてほしい。
あとマラドーナのなり損ないと書いたがこれは「マラドーナには決してなれない」という意味である。
そしてこの選手たちは他の国の代表なら即マラドーナになれる天才選手達ばかりである。
アルゼンチンだから低評価だが、彼らは超一流。
是非この機会にアルゼンチン選手に興味を持っていただければと思う。
リオネル・メッシ バルセロナ所属
バルセロナで数えきれないほどのタイトルを獲得し、異次元と称されるアルゼンチンのスター選手。
アルゼンチン代表ではワールドカップ準優勝の記録は持っているものの「優勝」のタイトルはない。
マラドーナと比較されるのはいつもここだけで代表のゴール数は45点で34点のマラドーナよりも上。
個人の成績で比べればマラドーナを超えていることは間違いない。
ファン・ロマン・リケルメ 現役引退 主な所属ボカ・ジュニアーズ
日本がグループリーグで敗退した2006年ドイツワールドカップでアルゼンチン代表の10番を背負っていた選手で
貧乏顔が特徴である。
メッシのように細かいステップの足に吸い付くようなドリブルはできないが、
高いキープ力とパスセンスを備える司令塔タイプの選手。
アルゼンチンの名門ボカ・ジュニアーズで長く活躍し、ヨーロッパではリーガエスパニョーラの
バルセロナやビジャレアルにも在籍していた経験を持つ。
バルセロナでは当時監督だったファンハールにサイドで起用されていたため持ち味の
パスセンスが生かせず1年でビジャレアルにレンタル移籍をすることになる。
2003年にロナウジーニョがバルセロナに加入したため10番をはく奪され放出。
リケルメにとっては屈辱的なことだったと思う。
その後移籍したビジャレアルではバルサ時代が嘘かのようなプレーをみせ
2006年にはドイツワールドカップをアルゼンチン代表の10番として戦った。
この中で最も10番が似合うのがこのリケルメかもしれない。
カルロス・テベス ボカ・ジュニアーズ所属
このテベスこそアルゼンチンらしいストライカーで、ミドルだろうがクロスからだろうが
どんなシーンでも決めてしまうどのチームも相手にしたくない選手である。
現在はボカ・ジュニアーズに所属しており
昨シーズンはセリエAのユベントスでチャンピオンズリーグ準優勝に導く活躍を披露した。
マンチェスターユナイテッドとマンチェスターシティに在籍していた過去を持ち
ユナイテッド時代にはチャンピオンズリーグ制覇に大きく貢献。
クリスティアーノ・ロナウド、ルーニー、ギグスと共にマンUの攻撃を牽引。
ただマンU時代は後に快適ではなかったと語っており、それがライバルチームシティに
禁断の移籍をしてしまった原因であるのかもしれない。
「アルゼンチン人として、『ディエゴ』になりたかった。でも、それは神様になろうとするようなものだったんだ。不可能だったんだよ」
http://www.goal.com/jp/news/74
またマラドーナになろうとするのは「神」になるようなものとテベスは語っている。
セルヒオ・アグエロ マンチェスターシティ所属
彼こそマラドーナに一度息子と認められた選手で、神の子の娘ジャンニーナと結婚している。
しかし現在はもう離婚しており、マラドーナとの義理親子の関係は終わった。
アルゼンチン代表では69試合で32ゴールを決めており、昨シーズンのプレミアリーグでは
見事得点王に輝いた。
ワールドクラスのストライカーの1人である。
パブロ・アイマール 現役引退 主な所属バレンシア
このアイマールはメッシが手本としていたほどの選手で、「天才」というのが最もよく似合っていた
アルゼンチン選手でないかと思う。
メッシのようなドリブルでの突破はできないが、その意表を突くスルーパスは見る者を
虜にした。
リーガエスパニョーラのバレンシアなどで活躍。
現役時代は怪我に悩まされ、代表でも目立った活躍はできなかった。
アリエル・オルテガ 現役引退 主な所属リーベルプレート
現役時代はアルゼンチンの名門で昨年のクラブワールドカップでJリーグ王者のサンフレッチェ広島と
対戦したリーベルプレートで活躍した。
2013年に現役を引退している。
1998年のフランスワールドカップではアルゼンチン代表として日本代表とも対戦。
若いころから天才ドリブラーとして脚光を浴びてきたが、アルコール依存症や素行の悪さなどが度々問題視されてきた選手でもあった。
もしこれがなければマラドーナを超える選手になれたかもしれない。
ハビエル・サビオラ リーベルプレート所属
バルセロナではメッシがデビューする前に活躍していた選手である。
2002年にリバウドが退団した後、攻撃の軸を担っていたサビオラは2004年に加入してきた
カメルーン代表のサミュエル・エトーとのポジション争いに負け各クラブにレンタル移籍。
ただレンタル移籍したセビージャではUFFAカップを獲得する原動力となるなど、ゴールゲッターとして
申し分ない活躍をみせた。
2007年にレアルに禁断の移籍を果たすが、ラウールからポジションを奪うことができず
ここでも控えの扱いに。
アルゼンチン代表では40試合に出場。
日本に来日した際には日本人ファンについてこうコメントしていた。
サインを求めに来るけれど、日本のファンはとても丁寧だ。日本は本当に居心地の良い、僕にとって特別な国だよ
サビオラが語るクラブW杯…「選手が経験し得る最も重要な大会の1つ」 | サッカーキングリーベル・プレートに所属する元アルゼンチン代表FWハビエル・サビオラが、12日に発売された『ワールドサッカーキング2016年1月号 バルセロナ MSN来襲』内···
将来Jリーグのクラブに移籍してくることもあり得るかもしれない。
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