【星陵高校時代から逆算して夢実現】本田圭佑ACミラン移籍までの道のりがすごい

サッカーコラム
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「15才からしていたプロへの逆算」

「プロになる」若干15才の少年、本田圭佑はこの目標を掲げ石川県の星稜高校のサッカー部に入部した。

所属していたガンバユースへの昇格が道が断たれたため大阪ではない石川県の高校への進学を決意した。

それは全国大会にでてプロの目に留まるための「逆算」であった。

「僕をレギュラーで使ってくれ」入部早々に本田が監督に切り出した。

「普通」なら試合にもでず、練習すらしていない生徒が言うことではない。

しかし天才である「本田」は違った。

ここからは本田圭佑が自らの夢である

イタリアの名門ACミランに移籍するまでを簡単にまとめてみたのでみてほしい。

 

高校の頃からあった本田イズム

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試合中 本田に対して

先輩「パス出せよ」 → 本田「今、ドリブルの練習してるんで」

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CSKA モスクワ時代には監督とこんなやり取りも。

監督「ホンダ、ボランチをやってくれ」

ホンダ「俺はボランチなんかようせんで」

これには監督も困惑しただろう。

なぜなんだ、日本人はまじめで忠実なはずなのにと。

プロになっても高校時代と変わらずな独特な本田の個性は失われていなかった。

いやむしろその「個性」はさらに磨かれているようにもみえる。

一見傲慢にもみえる本田だが、ピッチをでると上の人を立てることができる、

気遣いができる「後輩」だったという。

 

そして「プロ」へ

本田が高校2年のとき、Jリーグの名門名古屋グランパスのスカウトが星陵高校へと視察に訪れる。

「本田がほしい」 たった3日間の練習をみてスカウトが言った。そして本田に正式な獲得オファーがくる。

普通なら「是非お願いします」だろうが、本田は違った・・・

本田「条件がある、海外移籍を優先する条項を盛り込んでくれ」

高校生の彼は冗談で言ったのではなく、「マジ」だったという。

 

「プロになる」→「海外で活躍する」へ

プロになった本田圭佑は、すぐに次の目標を設定する。

「海外で活躍する」 これを達成するためにまた本田の「逆算」が始まった。

開幕戦で先発し、翌年からはレギュラーに定着した。

その後

2008年オランダの1部リーグエールディビジのvvvフェンロへと移籍。

そのシーズンは2部へとチームは降格するも、本田は残留。これも「逆算」だったのだろう。

次のシーズン本田はチームの中心選手として16ゴール13アシストの大活躍。チームの原動力となり1部優勝の立役者となる。

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2010年南アフリカワールドカップの年、本田はロシアの強豪cskaモスクワへと移籍する。

そこで長く「チームの王様」として君臨。監督と経営陣が簡単に移籍を容認しないほどの選手へと成長した。

 

そしてついに・・・


2014年冬、大きな目標を掲げ続けた男の1つの「夢」が実現する。

 

イタリアの名門セリエAのACミランへと移籍。

この移籍が実現できたのは本田に特別な才能があっただけではなく、目標から逆算し、

何をすべきかを自分で考え、実行する力、そして自信。これが実を結んだ結果なのではと私は考える。

ミラン番記者が語る「本田圭佑が活躍できる根拠」
「ミランでは、レアルやバイエルンといった他のビッグクラブと同じように、
ただうまいだけでは絶対に認められない。むしろ、備えている技術以上に重要なのが、
もの凄い重圧をものともしない精神力、ハートの強さだ。その意味で、本田は両者を兼ね備えている。

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この移籍で目標達成のための「逆算」によって、大きな夢を叶えることができることを証明したのだ。

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