ドイツの名門シャルケでラウールやノイアーともプレーし成長した内田篤人が鹿島に帰ってきた
今シーズン鹿島アントラーズの黄金期を知る男が帰ってきた。
その名は『内田篤人』選手である。
内田選手といえば甘いマスクでサッカーをあまり知らない人でも
彼のことを知っている人が多いのでアントラーズサポーターは
顔ファンによるマナーの悪さを危惧する人も少なくない。
そんな内田選手はJリーグで史上初の3連覇を達成した時の主力メンバーであり、
その活躍が認められブンデスリーガ(ドイツリーグ)の名門シャルケ04に移籍した。
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当時の主力メンバーには元スペイン代表のラウール氏や
ドイツ代表のノイアー選手が在籍しており、
サッカープレーヤーとしてだけでなく人間としても成長できたと語っている。
2011年東日本大震災のときにうっちーは感動のメッセージを被災者に送り、話題に
シャルケ04時代の内田選手といえば2011年に起こった東日本大震災の時に日本人に送ったメッセージに心を打たれた。
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そんな彼はシーズンの終了後や中断中には必ずアントラーズのクラブハウスを訪れている。
そのためチームから離れていてもアントラーズに所属してる選手や職員からの信頼はもちろん、サポーターからの支持も高い。
上記は光の部分だが影の部分も紹介したい。
ACL決勝でのPK失敗。ブラジルワールドカップでは怪我をおして強行出場
いまでもアントラーズサポーターで語られているのは
2009年のACLの決勝トーナメントでFCソウル戦にてPKを外してしまい
敗退してしまった時の内田選手がロッカールームで号泣していたことである。
それと南アフリカワールドカップではケガや
元日本代表監督岡田武史氏のフォーメーションの変更が影響して本戦のメンバーには選出されていたがベンチを温めて終わってしまった。
その次の大会のブラジルワールドカップではスタメンを勝ち取って出場したが実際は痛み止めの注射を打って出場していた。
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大会終了後に膝の手術をした。
この手術のリハビリに約1年半もかかってしまった。
ケガの具合が思わしくなかったためJFAの指示でアントラーズのメンバーに
混ざってリハビリをしたりもした。
いろいろな経験をして8シーズンぶりにアントラーズに帰ってきた内田選手の活躍を機愛したい。
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