才能があっても運がないと成功できない?バルセロナのメッシになり損ねた5人を紹介!

サッカーコラム
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バルセロナのリオネル・メッシは世界最高の選手

身長は低いが、サッカーに必要なスキルを全て持っている怪物が

バルセロナに所属するメッシである。

30才になり、肉体的には衰え始める頃だが、今シーズンも11ゴールと量産。

ポゼッションスタイルにバルサは戦術を戻したせいか、点取り屋のスアレスのゴール数は減少。

しかしカウンター戦術だろうが、ポゼッションだろうが、得点できるのがメッシのすごいところである。

クライフやマラドーナとも比べられる神の領域にいる選手。

そんな神になり損ねた選手を今から紹介していこうと思う。

 

ディエゴ・ブオナノッテ MF  ウニベルシダ・カトリカ所属

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アルゼンチンの名門クラブリーベルプレートでキャリアをスタート。

エリア内に入ったときのドリブル突破はメッシのようにタッチが細かく、非常に似ている。

北京オリンピックのメンバーにも選ばれ、メッシと共にプレーし金メダルを獲得。

ここまでは順調なキャリアを積んできたように思えたが、

オリンピックの翌年の2009年なんと交通事故をしてしまい、同乗していた友人3名は死亡。

ブオナノッテも当然無事ではなく、肺を損傷したほか肩や両腕も骨折し全治7ヶ月の重傷を負ってしまう。

この怪我のせいで翌年の2010南アフリカワールドカップには出られず、

さらにスペインの名門アトレティコマドリードへの移籍話も破談になった。

メッシよりもブオナノッテは1歳年下だが、バルセロナや代表でスターダムを駆け上がっていく

彼とは違い、成功からどんどん離れていってしまう。

その後、スペインのマラガやグラナダに移籍するも目立った成績は残せず、

現在はチリのチームでプレーしている。

もしこの交通事故がなければ、今頃はビッグクラブのどこかでプレーしていたであろう選手。

リーベルからキャリアをスタートさせヨーロッパで活躍できなかった元アルゼンチン代表の

オルテガとどこか重なる選手でもある。

 

パブロ・ピアッティ FW  エスパニョール所属

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アトレティコマドリードで現在監督を務めるシメオネがエストゥディアンテス監督時代に発掘した

メッシやアグエロと同じように天才と称された選手だ。

ポジションは主にウイングを務め、勝負どころでは得点力もある。

バレンシアで6年ほど在籍していたが、そこからビジャやシルバ、マタのように

ステップアップすることができず

現在はエスパニョールでプレーを続けている。

もしどこかでシメオネ率いるアトレティコマドリードに移籍していたならば

また違った運命を辿っていたかもしれない。

 

マルコ・マリン MF  オリンピアコス所属

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ドイツのメッシと呼ばれた選手を皆さんはご存知だろうか。

ブンデスリーガのブレーメン時代にそう呼ばれていたときがあり、

2012年にプレミアリーグのチェルシーに移籍しビッグクラブの入門を果たした。

しかし、チェルシーでは満足に出場機会を得られず、繰り返されるレンタル移籍。

そしてマリンを見限ったチェルシーは2016年夏放出を決意。

ギリシャのオリンピアコスへと移籍した。

そのときにかかった移籍金はわずか3億。
現在は10番をつけプレーしている。

ドイツのメッシの価値は急落し、人々から忘れ去られていった。

 

アレン・ハリロヴィッチ MF  ラス・パルマス所属

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バルセロナでメッシ2世と期待されていた天才選手であったが

トップチームでの出場はない。

16才でディナモザグレブ時代には

16才でチャンピオンズリーグデビューを果たした天才であっても

バルサではピッチに立つことすらできなかった。

その後、スポルティングヒホンにレンタル移籍。シーズン終了後バルサに復帰する噂があったものの

日本代表酒井高徳のいるハンブルガーSVへと移籍した。

現在はスペインのラス・パルマスでプレーしている。(ラスパルマスは柴崎岳の獲得を拒否したクラブ)

クロアチアを背負って立とうという逸材はまだ21才。

これからの活躍によってはメッシは無理でも今のネイマールくらいには化ける可能性はあるだろう。

2018年夏にバルサは保有するハリロビッチの買戻しオプションを行使するのか注目である。

 

ボージャン・クルキッチ FW  デポルティーボ・アラベス所属

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最後に紹介するのはバルセロナに詳しい人ならば同じものボージャンである。

バルセロナではメッシほどではないものの試合には出場できていた。

その時点で、他のメッシなり損ねよりは大きなアドバンテージがある。

カンテラ時代には通算900ゴールをマーク。

ライカールト政権では重宝されリーグ戦二桁ゴールをマークした時期もあったが、

グアルディオラに

監督が代わると、出場機会が激変。

ローマ時代に指導を受けたルイス・エンリケ、グアルディオラとは「コーヒーだって一緒に飲みたくない」

と話すボージャン。

対してライカールトには

「僕が愛していたバルサでプロの選手となる機会を与えてくれ、継続して起用してくれた。若手選手には、そういったことが必要なんだよ」

http://www.goal.com/jp/news/73/スペイン/2016/05/23/23817962/

このコメントの通り好印象を持っているようである。

現在ボージャンはプレミアのストークからリーガのアラベスにレンタル移籍をしている。

昨シーズンの半分は日本代表武藤嘉紀が所属するマインツでプレーしていた。

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